User's Story

Hiroki Otokozawa

男澤 博樹
トレイルランナー
1973年1月17日
宮城県出身


僕に、あるオーダーが舞い込んだ。
TJARに出場する一人の選手から。
バックパックを製作してほしい、と。

TJAR本戦のひと月前のことだ。
僕のバックパックは、一つ一つ仕様が異なる。
オーダーを受けてからデザイン画を描き、型紙を作り、生地や材料を調達し、縫製していく。
十分に時間があるとは言えなかった。
でも、本戦に挑むためのバックパックとして、僕の作るバックパックを選んでくれたことはとても嬉しかった。
だから僕は、二つ返事で製作を引き受けた。

男澤博樹さん。

男澤さんは、TJARに出場することを目標にトレイルランニングを始めた。
「トレイルランニングを始めたのは、TJAR2012を知ったのがきっかけです。
ですから、初めてレースに出たのは翌年3月の熊野古道中辺路マウンテンマラソンと言うレースでした。」

高校卒業後、実業団で中長距離の選手として活躍した。
その後、プロボクサーに転身。
引退後はサラリーマン。
異色の経歴の持ち主だ。
歳を重ね、アスリートの生活から離れ、仕事に打ち込む日々。どこか、満足できない自分がいたという。

「仕事オンリーの生活でどんどん老けて行くのを感じる中、何かもう一度若い頃のように頑張りたいと思いました。
そこにTJARです。この過酷なレースに男のロマンを感じました。」
TJARに出場することは、簡単なことではない。
出場できるのは、選考会を突破した、僅か30人。
走力は選考基準の一つにすぎない。読図力、野営の技術、リスクマネジメント能力。山での総合力を試される。
事実、男澤さんは出場を目指したTJAR2014の選考には漏れ、涙を飲んでいる。

それでも、男澤さんは諦めることはなかった。

「究極まで自分のポテンシャルを上げれば不可能では無いと思い、目標管理シートを作り日々自分を高めていきました。」

そして、TJAR2016。
この舞台で、男澤さんは躍動した。

レース序盤。男澤さんは高山病に見舞われた。
走ることはおろか、歩くことさえもままならない。
レースの状況を知り、僕はとても不安になった。

それでも、男澤さんは諦めることはなかった。

見事、復活を果たした男澤さんは、そこから快進撃を見せる。
一時は20番台後半まで後退した順位を、15位まであげたのだ。
自分を鼓舞し、体に鞭を打ち、走り続けた。

大会7日目。僕はゴール手前20km地点、玉機橋にいた。男澤さんはもうすぐここに辿り着くはずだ。
辺りがすっかり薄暗くなった頃。ブルーのバックパックを背負ったランナーがやってきた。
「ああ、来てくれたんですね。」
力なく声を絞り出す男澤さんは、まさに満身創痍だった。
「もう、歩かない。」
次に出て来た言葉は、決意に満ちて、力強くて、かっこよかった。
大浜海岸で待っていますとだけ伝えて、僕は一足先にゴールへ向かう。

もうすぐ男澤さんがゴールにたどり着く。その知らせを聞いて、ゴールに詰めかけた観客はそわそわとし始める。
彼の人柄を慕って、集まった人。
レースを通して、彼のファンになった人。
多くの人が、その瞬間を共有しようと、ここに来た。
現れた男澤さんの表情は、満ち足りていた。
疲れなんて全て吹っ飛んだかのようにゴールゲートに向かって走っていく。
顔を伏せ、涙するその姿。

4年越しの思いが実った瞬間だった。

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