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旅のおわりに。

2020/01/31
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とあるセミナーで、自身も熱心な釣り人である海洋生物学者の先生の、こんな言葉がありました。

「釣りというのは、結局のところ魚をいじめる行為であることは否定しません。でも、私は釣りを通して得た感動を糧に、魚への愛情を育んできました。釣りをしていなければこんな風に魚を研究しようとも、守ろうとも思わなかったでしょう。」

他のアクティビティでも同じく、人間が立ち入らない、というのがいちばんの保護なのかもしれません。山で、海で自分を磨くより、社会貢献になることはたくさんある、と言われても仕方がありません。

でも僕らはアクティビティを通して、全然雪ないね、トレイル荒れちゃったね、魚減っちゃったね、虫も減っちゃったね、護岸されちゃったね、ということに危機感を憶えます。

もちろん、エコバッグを持ち歩くだとか、ハイブリッドカーで通勤するだとか、牛肉やマグロをたべないだとか、そんな選択も称賛されて然るべきでしょう。

でも、まずは。
まずは泥にまみれて、靴底をすり減らし、衣類は継ぎはぎだらけで、生傷が絶えないような、遊びを通してブルブルと心を震わせてきたおじさんになってはじめて、その言葉に重みが出てくるのだと思います。

そして、そこにこそ境地があるのではないかと信じています。どんなアクティビティを選んだとしても、どんなフィールドを選んだとしても、きっとそこに大きな違いはなく、それぞれの手段で共通項を捉えていくだけなのではないでしょうか。

免罪符なんてありません。
知識で固めた完全無欠な原理主義者より、罪悪感を抱えつつ、それでもアウトドアで自分を磨こうとする、矛盾に生きる実践主義的なアウトドアマンが増えたほうが、少しはまともな世の中になるのではないでしょうか。

大切なのは、「毎日そのことばかり思い浮かべてわくわくするような計画」があるかどうか。
たとえ山頂に立てなくとも、たとえ完走できなくとも、たとえ一匹も釣れなくとも、たとえ波や雪や風に恵まれなくとも、その「結果」においてそのチャレンジに貴賎はなく、そのプロセスで価値が決まるのだと思います。

自分が心からやりたいと思えることだったか。人任せにせずどれだけ自分で向き合えたか。何を得たか。どんな出会いがあったか。

誰かの計画に便乗する、ガイドブックをただなぞる。楽をする方法はたくさんあります。しかし、それでは大切なものは得られないのではないでしょうか。敷かれたレールの上にあるものは、それ相応のものしかありません。

自分で計画を練り、それに向けて準備を重ね、時間を確保し、資金を工面し、自分自身を磨いてきたのであれば、結果はどうあれ、人に評価されようがされまいが、よいチャレンジであったと言えるでしょう。
幸いぼくはものづくりを通して、そういった人たちにたくさん出会うことができました。

その経験に裏打ちされた言葉を、ぼくは信じていきたいと思います。

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