Shogo Mochizuki
望月 将悟
トレイルランナー・山岳救助隊員
1977年9月13日
静岡県出身
長い間、将悟さんは僕の憧れだった。
南アルプスの麓、井川。
市街地から車で二時間。峠で隔てられたこの地には、ゆっくりとした時間が流れている。
人々は深山、そして大井川の恵みに感謝しながら、謙虚に、そしてたくましく生きている。
僕はこの地が大好きだ。
この地で、将悟さんは生まれ育った。
TJAR。トランスジャパンアルプスレース。
日本海から、太平洋まで、総距離415km。
北アルプス・中央アルプス・南アルプスと、日本アルプスを駆け抜ける、日本一過酷なレース。
国外に目を向けても、こんな過酷なレースはなかなかない。
将悟さんは、2010年大会から3大会連続で、このレースを制している。
そんな将悟さんが、4連覇をかけた大会に、僕の作るバックパックを選んでくれた。
自宅に伺い、オーダーを聞き、道具に対する意識の高さに驚いた。
僕の持参したサンプルを背負い、ギアを詰め、ああでもないこうでもないと試行錯誤する将悟さんの目は輝いていた。
将悟さんは、2015年、東京マラソンでギネス記録を打ち立てた。
40lb、約18キロの荷物を背負ってのフルマラソン最速記録。
それまでの記録を大幅に更新する、3時間6分16秒。
この時背負ったのは自身がオモリを配置した、特製のリュックだ。
実際に背負わせてもらった。普段背負うことのない重量、肩にかけるのに難儀したけれども、背負ってみると、不思議とそれほど重量感を感じない。
絶妙なバランスで、重さを配置しているのだ。
「こんなバックパックを、作ってくれないかなあ。」
僕はこの課題に夢中になった。
今までにない、バックパックを作ろうと。
寝る間も惜しんで、ミシンを踏んだ。
8月7日。TJARスタート当日。僕は日本海にいた。
たくさんの観客に囲まれる、青いバックパックを背負った将悟さん。僕は挑戦に向かう彼と握手を交わした。
気の利いたことは何一つ言えなかったけれど。
追われる立場は、どんな気分なんだろう。
それは、ただ一人将悟さんにしかわからない。
スタートの合図と同時に走り出す選手たち。
将悟さんは何かを噛みしめるように、ゆっくりと、最後尾からスタートした。
大会5日目。南アルプスを下って来た将悟さんを、僕は彼の故郷、井川で迎えた。
独走態勢。たった一人で戦っていた。
ペースは順調そのもので、史上初の5日切りも射程圏内だ。
応援に駆けつけた人たち、NHKのクルー、TJARのスタッフ。
誰に対しても将悟さんは、丁寧に、にこやかに受け答えをする。
「ありがとう。」
少しでも先を急ぎたいだろうに、将悟さんは誰一人無碍に扱うことなく、応援に対する感謝を述べた。
どんなに実績を積み上げても、謙虚な姿勢を崩さない。
全力で自然と対峙して、全身で自分を表現する将悟さんの姿は美しかった。
その日の夜、もう少しで日付が変わりそうな頃。
将悟さんは大浜海岸に現れた。
こんな時間なのに、見たこともないほどの人だかりができていた。
4日23時間52分。
自身の持つ大会記録を大幅に更新し、前人未到の4連覇を果たした。
マイクを握って口にしたのは、感謝の言葉だった。
誰も到達したことのない境地に達した彼は、誰よりも謙虚だった。
こんな大きな、大きな背中に背負われ、一緒に415kmの旅ができたことを、僕は本当に感謝している。