Zenkou Enokida
榎田 善行
南アルプス 赤石岳避難小屋管理人
1955年6月20日
静岡県出身
僕の一番好きな山。
初めて登ったのは、二十歳くらいだったかな。
赤石岳の魅力をより一層引き立てているのが、山頂直下に位置する赤石岳避難小屋だ。
小屋の扉を開くと、奥からヒョイっと出てきて出迎えてくれるのが榎田さんだ。
赤石岳に登ることは、僕にとって榎田さんに会いに行くことだった。
初めてここを訪れた時、疲れ切った僕に「ほら、飲め。」と、あったかいお茶を差し出してくれた。
ぶっきらぼうに見えるけれど、その優しさにほっこりする。
北岳から光岳まで縦走したとき、僕は赤石岳に向かう道を、家に帰るような気分で歩いた。
そして榎田さんは家に招き入れるように迎えてくれた。
あるときは、小屋の外で懸命にパラボラアンテナを調整する榎田さんがいた。
聞けば、その日の夕方、自身が映るTV番組が放送されるという。
一向に映らない機嫌が悪いTV画面にやきもきしながら、工具を握る榎田さんが微笑ましかった。
宿泊客が多いと、ちょっと不満そうなところも、榎田さんの魅力だ。
雷雨の稜線をびしょ濡れでたどり着いた時、自分の衣服を貸そうとしてくれた。
榎田さんに食べてもらおうと、渓で釣れたイワナを持って行ったこともある。
海のものもたまには食べたいだろうからと、カツオを担いで行ったこともある。
そんな時は満面の笑みで迎えてくれて、お酒を飲みながら、嬉しそうにそれをつまんでくれた。
榎田さんに会いに来る登山者やハイカーは多い。みんな、お酒が大好きな榎田さんとの晩酌を楽しみに、長い道のりを登って来る。
榎田さんもそんな登山客を心待ちにしている。
登山者の話に耳を傾け、ガハハと大きく笑う。
夕暮れどきにはカメラと三脚を持って小屋を飛び出し山頂へ向かう。
毎日ここにいるのに、日ごとに変わる山の表情を写真に収めようとする榎田さんの目は輝いている。
美しい夕焼けに出会えると、山頂は歓声に包まれるのだけれど、一番嬉しそうなのは決まって榎田さんだ。
夜が更けると、もこもこのダウンジャケットを着込んで外に出て、星空の話をしてくれる。
朝になり、みんなが下山して行くと寂しそうに見送ってくれる。
それが、榎田さんだ。
榎田さんは、赤石岳そのものだ。
僕は彼に感謝している。
僕が南アルプスにのめり込んだのは、彼のおかげだ。
世界で一番好きな山だと、そう言い切れるのは、彼がいるからだ。
だから、僕は、彼にバックパックを贈った。
いつまでも、山を楽しんでくれるように。
彼によく似合う、赤いバックパックを。