User's Story

Keiichiro Sakata

阪田 啓一郎
トレイルランナー
1980年2月12日
三重県出身


僕の自宅から、南アの玄関口、井川へは3時間程かかる。
行程のほとんどは峠道。毎週のように通う僕でさえ辟易とする長い道のり。
アクセスの容易な他のアルプスに比べ登山者が少ないのも頷ける。
そこに至るまでの最高標高点である富士見峠。
ここまでやってくると、目の前にいきなり南アの主稜が現れる。
その雄大な姿に、これからの山旅や釣りに想いを馳せて、ワクワクする。

2014年、盛夏のある日。南アルプスを背にして、この富士見峠に一人のランナーが現れた。
体全体に疲労の色が溢れている。
足取りは重そうだ。
でも、一歩一歩着実に足を運ぶその姿からは、強い意志が感じられた。

阪田啓一郎さんだ。
この時、TJARの真っ只中。TJARでは毎回、将悟さんとしのぎを削りあっている。
この年の大会でも見事4位に輝いている。
ハセツネ、トルデジアン、阪田さんが活躍する舞台はTJARにとどまらない。世界を走る。
アップダウンの激しいトレイルを軽快に駆け抜けるのが阪田さんの真骨頂。
地元、鈴鹿山脈で鍛えた走りとは裏腹に、体つきは細く、どこにそんな力が秘められているんだろう、と不思議になる。

いつもみんなを楽しませようとユーモアを振りまいてくれている。
けれど、本当は誰よりも山に対して真摯な気持ちを持っている。
阪田さんはそんな人だ、と僕は思う。

2016年。TJARの舞台に、阪田さんの姿はなかった。
それはなんだか、とても切ないことだった。
でも、時を同じくして、阪田さんは一人、挑戦していた。
親不知から大浜海岸まで総距離490km。
TJARよりも長い道のりを、たった一人、走り続けた。
レースのように、大きな注目はない。サポートのスタッフもいない、孤独な戦い。
7日後、阪田さんは見事ゴールを果たす。
ゴールには、多くの人が詰め掛けた。
それは、阪田さんの人柄をよく表している。

「トレランレースって恵まれ過ぎてて、
道に迷わないように誘導してもらって、
飲み物も補給食も無くなる前にエイドが出てきて、
現在地がわかってなくてもリタイア宣言すれば連れて帰ってくれる。
あんまり山の事勉強出来ないから自分でやって酷い目にあって学びたい。
そういう気持ちがあるんです。」

2017年夏。
阪田さんは、さらに大きな目標に挑もうとしている。

「北京五輪でボルトがとんでもないタイムでメダル取ったレース、あまりに凄い走りで思わず笑ってしまったんです。
人間、想定してないような事されると驚き通り越して笑ってしまうじゃないですか、なので人に笑われる事したいなと。
それに、単純に山が楽しいから、どこまでいけるかやってみたい。」

そんな彼のオーダーは、「とにかく、ミニマルに。」
生地も通常より薄く、余分なものは省き、容量も抑えた。
そう、人が想定しないようなことをするんだから。

All Blackのそのバックパックに、派手さは全くないが、僕の出来うるすべてを集約した。
彼の自己表現を、思うままにできるように。

そして、迎えた夏。

Oyashirazu to Oohama
520km
8days9h45m.

親不知から北アルプス、八ヶ岳、南アルプスを経て大浜海岸へ。
未だかつて類を見ない距離。300マイルを凌ぐ、500km以上の道のりを一人走ってここへ来た。

既に30時間寝ずに走り続けている。
疲労感はあれど、足取り軽く、軽妙な語り口はいつもの阪田さんだった。
砂浜に駆け降り、太平洋へダイブ。青空へバックパックを掲げて、その旅を終えた。

間違いなく、今年のトレイル界のハイライトになる挑戦。彼の知名度の高さ、挑戦のスケールの大きさには似つかわしくない、メディアもなく、観客も少ない静かなゴール。
告知もせずただ一人、とてつもなく大きなことを成し遂げた。

オーダーの際この計画を打ち明けられた時、これまでにない気持ちを感じたのを今でも覚えている。

「RISK」
名付けたのは阪田さんご本人。
そこに、決意の深さを感じた。
通常より薄く頼りない生地。
文字通り、一針一針集中して縫った。事実、他のモデルにはない縫い方を採用している。
大浜まで走りきれるように。

彼を見て思うのは、熱意を形にすることは素晴らしいことだということ。
自信を持って、夢のあること、していこう。

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